なぜ日本企業でSCM人材が育たないのか
サプライチェーン人材の不足はグローバルで共通する課題ですが、日本企業には特有の構造的問題があります。前著のSCM5.0が指摘した通り、SCM人材のキャリアパスや教育体系を整備できている日本企業は多くありません。
具体的な機能不全は次の三つです。
第一に、SCM人材像そのものが明確に定義されていないことです。サプライチェーン全体を俯瞰する組織がない企業では、どんな人がSCM人材かが定義されておらず、採用基準も育成プログラムも設計できません。
第二に、業務領域ごとの専門教育の積み上げがSCM人材育成にはならないことです。生産管理や調達を10年経験しても、それは「生産と調達の経験者」であって、全体最適を志向する視座は意図的に設計された経験を通じてしか獲得できません。
第三に、SCM領域における上位役職の不在です。サプライチェーン全体を統括する最高責任者であるCSCO (Chief Supply Chain Officer)を設置している日本企業はまだ少数で、SCM人材が昇進の壁にぶつかり他社へ流出する現象が起きています。
これらは以前から指摘されてきた課題です。それでも変わらないのは、経営層にSCMを「現場のコストダウン手法」と見なす認識が根強くあるからと考えられます。
8つのSCMの人材要件
書籍『ダイナミック・サプライチェーン・マネジメント』では、不確実性の高い環境下でダイナミックSCMを舵取りするSCM人材に求められる要件を、次の8項目で整理しています。
この8要件はいまも有効です。しかし、より複雑性の増す現在では、このSCM人材要件の前提そのものが問い直されることになります。
「スキル習得」から「変容」へ
今、SCM人材の要件は「スキル習得」から「変容」へと次元を引き上げることが必要になっています。
その背景には、SCMが扱う問題の性質の変化があります。SCMがこれまで対象とした問題の多くは、専門家の知識と分析によって最適解にたどり着ける「煩雑」な問題でした。一方、現在のSCMが向き合う問題の多くは「複雑」領域、すなわち因果関係が事後的にしか見えず、唯一の正解が存在しない問題です。この複雑領域では、スキルを増やしても問題は解けません。前提を問い直し、自らの認知構造を組み替える「変容」の力が必要になります。
SCM人材の8要件の進化マップ
すべての要件が「プラスの拡張像」として描かれます。SCM人材の8要件の上に「自らと組織の前提を問い直し、別の在り方を生成する」レイヤーが積み上がるという構造です。
これらを支える知識領域である、システム思考、U理論、SECIモデル、反脆弱性設計、自律分散型組織論などはいずれも従来のSCM教科書には取り上げられない領域です。
SCM人材のキャリアパス設計における三つの軸
こうしたジェネラティブSCMを担う人材を組織として育てるには、どのようなキャリアパスを設計すればよいでしょうか。三つの軸を提示します。
軸1 複線型キャリアパス: 管理職コースだけにしない
SCM人材を育てる第一の前提は、キャリアパスを単線にしないことです。マネジメントコース、需要予測や対話型ファシリテーターなどのスペシャリストコース、複数部門を計画的に経験するクロスファンクショナル・ローテーションコースなど、複数の道筋を用意します。SCM部門配属のパスだけでなく、営業・マーケティング・製品開発・改革プロジェクトからSCM人材になる道も同等に価値あるルートと位置づけます。
例えば筆者の前職である食品卸売業では、新入社員に「営業」「SCM」「コーポレート」の背番号が割り当てられ、その背番号領域内の部門間でジョブローテーションを行うキャリアパスになっていました。例えばSCM背番号者は物流現場や商品需給管理部門などのSCM関連部門のみの経験となり、営業からSCMへの異動も、SCMからコーポレートへの異動も原則ありません。結果としてSCM人材は「物流のスペシャリスト」へと固定されがちで、ジェネラティブSCM時代に求められる「販売の最前線と物流・需給を横断する人材」へと育つ複線型の経路としては必ずしも十分ではなかった、と感じています。
軸2 意図的な「越境」の組み込み
「内省と対話による前提転換力」や「複雑系の問題診断力」は、同じ部門・同じ業務にとどまっていては育ちません。異なる部門・地域・組織への意図的な異動経験(以下、「越境」と呼びます)をキャリアパスに組み込む必要があります。業務領域間(販売・生産・調達・物流の機能間ローテーション)、地域間(海外拠点への異動)、役割間(実務担当と改革プロジェクト)、組織間(出向や共創ラボへの参画)、業界間(異業種交流やスタートアップ協業)など、多層的な越境機会が考えられます。
越境はSCM人材本人にとって負荷の高い体験を伴いますが、その「カルチャーショック」こそが既存のメンタル・モデルを揺さぶり、SCM人材としての変容を促す契機になります。
軸3 体系的知識習得との両輪
経験と越境だけでSCM人材は育ちません。米国の業界団体ASCMが認定する外部資格(CPIM、CSCP、CLTD、SCOR-Pなど)の取得支援、自社版SCMカリキュラムの整備、業界コンソーシアム参画、ジェネラティブSCMで新たに加わる知識領域を含む理論学習を組み合わせる必要があります。
最高サプライチェーン責任者CSCOとそのフォーメーション
SCM人材育成の出口設計として、最高サプライチェーン責任者CSCOの設置を避けて通ることはできません。最高デジタル責任者CDO設置が進む一方で、CSCOを置く日本企業は依然として少数派です。CSCO候補が育っても登る席がなく、他社に転出してしまうという実情があります。
CSCOを中核とした経営チームのフォーメーションは、CEOのもとにCSCO、CHRO、CDOが並列に並び、密接に連携する形です。
書籍『AI時代のサプライチェーン・エコシステム』では、SCMを(1)目的と関係性、(2)人と組織、(3)オペレーションとAI、(4)戦略と戦術、(5)学習と成長、の五つのレンズで捉えています。CSCO、CHRO、CDOによる経営チームの連携が必要なのは、このうち「人と組織」と「オペレーションとAI」という二つのレンズが交差する場所に、複雑な時代のSCM変革の主戦場があるからです。一人のリーダーや一つの部門では対応しきれない領域だからこそ、経営チームとしての連携が不可欠です。
SCM人材育成は、企業のあるべき姿の定義から始まる
SCM人材を育成するにあたって、筆者が強く伝えたいのは、まず必要なのは「企業としてあるべき姿の定義」と「そのために必要なSCM人材像の定義」であるということです。研修やキャリアパスはあくまでHOW(育てる方法)に過ぎず、目的が分からないのに手段の話はできません。具体的には、次の①〜③の順序で検討する必要があります。
① WHY(目的): まずは企業として、なぜ変わる必要があるのか、どのような姿になりたいのかという背景と目的を明確にする
② WHAT(あるべき姿): ①を果たすために、SCM人材とは何かを定義する
③ HOW(手段): ②で定義したSCM人材を、どう育成するか(キャリアパスや育成プログラムなど)を検討する
①が出発点となるのは、SCMのテーマがロジスティクスや需給管理だけではないからです。SCMは、調達・生産・物流・販売を含めた全社、さらにエコシステム全体に開かれていく概念です。営業も、製造も、調達も、企画も、経営も、全社の全部門が会社のあるべき姿に対して目線を揃えていなければなりません。だからこそ経営レベルで「我が社のサプライチェーンは何を生み出す存在か」という姿を、まず定義する必要があります。
そのうえで②に進みます。人を管理対象ではなく関係を築き変化を起こす主体として位置づける必要があります。不確実で複雑、AIが浸透する時代に、サプライチェーンに「意味」と「価値」を吹き込めるのは人だけです。漠然と「SCMができる人」を育てるのではなく、自社にとってSCM人材とは何者かを言語化することが、③の前提となります。
順番が逆になると、組織は「何のためかは分からないが、よくできた育成プログラム」を運営することになります。まずは会社としてどのような姿になりたいのかから問い直す——そこから始めて初めて、SCM人材像も、どう育成していくのかも見えてきます。
複雑な時代のSCM人材キャリアパス設計の考え方
この六つは、❶を起点として❷から❻が同じ方角を向く順序で初めて機能します。最も避けるべきは、❶を飛ばして❸から❺だけを先行させることです。よく整った育成プログラムが、❶の不在によって組織を別々の方角に向かわせてしまう。それが、日本企業のSCM人材育成における最も静かで根深い失敗だと筆者は考えています。
最も避けられがちな「最初の一歩」とは、経営層やSCM部門だけでなく、営業・製造・調達・企画など全社の主要メンバーが一堂に会し、「我が社のサプライチェーンは何を生み出す存在か」「その担い手であるSCM人材とは何者か」を本気で対話することです。
転換は、新しい制度ではなく、新しい問いから始まる。そして、その問いはSCM部門だけのものではない、というのが筆者の現時点での確信です。
用語・略語一覧(巻末資料)
本稿で用いた主な略語・専門用語を、参照しやすいよう巻末に集約します。
役職・組織関連
| 略語 | 正式名称 | 意味 |
|---|---|---|
| CSCO | Chief Supply Chain Officer | 最高サプライチェーン責任者 |
| CHRO | Chief Human Resources Officer | 最高人事責任者 |
| CDO | Chief Digital Officer | 最高デジタル責任者 |
| CEO | Chief Executive Officer | 最高経営責任者 |
資格・団体関連
| 略語 | 正式名称 | 内容 |
|---|---|---|
| ASCM | Association for Supply Chain Management | 米国のSCM資格認定機関(旧称APICS) |
| CPIM | Certified in Planning and Inventory Management | 生産・在庫管理の認定資格 |
| CSCP | Certified Supply Chain Professional | サプライチェーン総合認定資格 |
| CLTD | Certified in Logistics, Transportation and Distribution | 物流・輸送・配送の認定資格 |
| SCOR-P | SCOR Professional | SCORモデル運用の認定資格 |



