「ヒューマン・オペレーティングモデル」という構造問題
AIや計画システムが普及した現代でも、SCMの意思決定の多くは依然として「人」に依存しています。たとえば毎週の需給調整会議。「先週末に大口顧客から急な前倒し要請が入った」「主要輸送ルートでトラブルが発生し物流が滞っている」「主要原材料の調達が遅れそうだ」──こうした情報を前に、最終的に「では今週は工場の生産順序をA→B→Cに組み替えて、こちらの在庫から優先供給しよう」と判断しているのは、いつものベテラン担当者。そんな光景を見聞きすることはないでしょうか。需要予測システムも生産計画システムもMRP(資材所要量計画)も入っているのに、最後はやはり「人」が判断している。多くの企業で続く慣習です。
筆者はこのような状態を「ヒューマン・オペレーティングモデル」と呼んでいます。製造ラインや倉庫オペレーションでは自動化が進みつつありますが、需給調整・例外対応・関係者間の交渉のような意思決定領域は、いまだ人の力に大きく依存しているのが実情です。
問題は、こうした構造が「AIよりも人の意思を重視する」という文化的規範と合わさることで、より強固になっていく点です。たとえば需要予測システムが「来月の出荷は前年同月比20%増の見込み」と提示しても、ベテラン担当者が「いや、過去のパターンを見るとそこまでは伸びない」と感じれば、人が手で数字を下方修正します。こうした運用が積み重なると、AIは「参考情報」に留まり続け、「人がボトルネック」となるため組織全体の応答速度も適応力も向上しません。
暗黙知の属人化が組織に与えるダメージ
ヒューマン・オペレーティングモデルが常態化すると、次に起こるのが「暗黙知の属人化」です。
ベテラン社員や熟練者が退職・異動する中で、その知識が十分に言語化・デジタル化されないまま失われていく。こうした状況は、日本企業のサプライチェーン現場で広く起きていると筆者は感じています。引き継ぎは形式的な手順や数値の説明にとどまり、「なぜそう判断してきたのか」「どの条件が変われば判断を変えるのか」といった本質的な知は継承されません。
属人的な暗黙知に依存したSCMオペレーションがもたらす具体的なダメージは、大きく三つあります。
一つ目は、人が抜けるたびに組織の意思決定能力が低下すること。「ある担当者がいる間はSCMオペレーションが回るが、いなくなると途端に回らなくなる」。たとえばベテランが定年退職した翌月から、「あの取引先の特例ルール」「あの工場の真の生産能力」「あの輸送業者との非公式の融通」といった情報が一斉に欠落し、欠品や過剰在庫が頻発する。こうした事態は、筆者がこれまで関わってきた現場でも実際に起きています。
二つ目は、暗黙知が「過去の成功体験」に根ざしている可能性があること。たとえば「うちの製品は梅雨入り後の6月は売れない」というベテランの経験則をもとに生産を絞ったところ、6月から例年にない暑さとなり、想定外の需要を取り逃した。こうした事象は、筆者が支援する日本の伝統的な製造業の現場でも見られます。市場・顧客行動・供給制約が大きく変化する現在、ベテランの経験則が今も妥当であるとは限りません。しかし知識が言語化されていない限り、「本当に今の状況に合っているのか」を検証することすらできません。
三つ目は、スケールできないこと。暗黙知に基づく判断は個人の処理能力に強く依存します。国内3工場がM&Aや海外展開で10拠点に増えたとき、「Aさんと同じ判断ができる人」をすべての拠点に配置することはできません。「国内の本社工場では需給がうまく回っているのに、買収した地方工場では同じことができない」「日本では問題ないが、東南アジアの生産拠点では予測精度が極端に落ちる」。こうした声を、筆者もグローバル展開する製造業のお客様から耳にしてきました。これがSCMのグローバル化や事業拡大の足かせになります。
AIは「学習する材料」を得られない
属人化の問題は、組織的なリスクにとどまらず、デジタル・AI活用の観点からも深刻な構造問題を引き起こします。
AIの本来の強みは、「判断の再利用」「知の横断的活用」「高速な学習」にあります。ところが判断が人の頭の中に閉じている限り、AIは学習するための材料を得られません。知は拡張も再生産もされず、属人化したまま蓄積されていきます。
筆者が経験した事例:AI需要予測の落とし穴
筆者がご支援したある消費財製造業のお客様で、AIを活用した定番品の需要予測にチャレンジした事例があります。1年をかけて、価格改定の影響・季節変動・販促施策などの複雑な要因をロジックに織り込み、一定の精度をもった予測システムを構築することに成功しました。現在は、毎月の予測結果を担当者がモニタリングし、「今回織り込んだ要素のロジックは本当に正しかったのか」「予測が外れたのは、ロジックの問題か、それとも織り込めていない外部要因の影響か」といった観点でPDCAサイクルを回す運用が定着しています。
この運用は、決して間違ってはいません。しかしSCMの進化という観点から見たとき、AIの本来の強みである「判断の再利用」「知の横断的活用」「高速な学習」を活かしきれているとは言えません。ロジックの妥当性を判断し、改善のループを回している主体は──結局のところ、いつもの「あの人」、すなわち業務判断が属人化している特定の担当者だからです。
冷静に構造を見れば、担当者の頭の中にあった「需要予測の現場知見」が、形を変えて「ロジック運用のPDCAノウハウ」として、やはり同じ担当者の頭の中に蓄積されているだけ、とも言えます。AIシステムは、そのノウハウを実装し動かす道具にすぎず、運用ノウハウそのものはAIには蓄積されていません。SCMの進化を見据えるならば、このモニタリングプロセスそのものをAIに組み込み、暗黙知の属人化を打破していく必要があります。
先ほどの消費財製造業のお客様とは、いままさにこの「改善のループそのものをAIに担わせる」取り組みを始めています。生成AIとエージェント型AIの急速な進化が、これまで属人化の壁とされてきた領域を乗り越える可能性をもたらしつつあります。
「デジタル化されない知識を積み上げる」という固定観念は、単なる業務上の悩みではありません。それはSCMの進化可能性そのものを封じ込める、構造的な障壁です。
熟練者の知はIF-THEN-ELSEのルール化が困難
暗黙知の属人化にどう向き合えばよいのでしょうか。重要なのは、「熟練者の判断をAIで置き換える」発想から抜け出すことです。
なぜなら、熟練者の判断にはルール化を阻む3つの特徴があるからです。
① 文脈に依存している 同じ「在庫が安全在庫を下回った」という事象でも、「年度末で在庫を絞りたい時期」なのか「来月から新製品の販促が始まる直前」なのかで、判断は真逆になります。
② 暗黙知に支えられている 「あの客先は、カタログ数値より2割多めに発注してくるが、月末には半分キャンセルしてくる」。こうした知は、マニュアルにも書かれず、本人ですら完全には言語化できません。
③ 関係性のなかで形成される 「あの取引先の購買部長とは10年来の付き合いだから、急な変更も電話一本で通る」。取引先や現場との信頼関係が判断そのものを成り立たせています。
これらを踏まえると、「IF条件を増やしてルール化すれば自動化できる」という試みが限界にぶつかるのは当然です。
「前提を問い直す」ための視点
属人化SCMの問題は、個々人の問題でも、引き継ぎ方法の改善だけで解決できる問題でもありません。「人の判断こそが最も信頼できる」「システムより経験が上」という前提そのものが問われています。
筆者の経験では、属人化が最も深刻なのは、変化が少なく「うまく回っている」時期に静かに進行する点だと感じます。「いまの需給調整会議はベテランのBさんがいるから大丈夫」「あの顧客対応はCさんに任せておけば問題ない」、そう思っているうちに、Bさんは数年後に定年を迎え、Cさんは異動希望を出すでしょう。誰かが抜けて初めて「実は危うい構造だった」と気づく──その時には、すでに手遅れです。
特定の人の存在に頼る安定ではなく、知識が組織に流れ、AIと人が共に学び続ける構造の中にこそ、真の安定があります。
冒頭で問いかけた「あの人がいないと回らない」という声──これは「ベテランが優秀である証」ではなく、「あなたの組織のSCMが、いまだ一人の頭の中に依存している」ことの危険信号です。Bさんが定年を迎える前に、Cさんが異動を申し出る前に、いま自社のSCMで「誰の頭の中に何が眠っているのか」を可視化し、その知をAIと組織に流す仕組みづくりに着手すること──それが、SCMを「削減する」段階から「生成する」段階へと進化させる第一歩です。



