壁1:経営の壁 ── 「SCMは現場のもの」という意識
日本企業の多くにおいて、SCMは「工場管理」「調達コスト削減」「物流改善」という「現場レベルのテーマ」として位置づけられてきました。
これには歴史的な背景があります。SCMの取り組みが本格化した2000年代は、「コスト削減」が経営の最重要課題でした。SCMはその文脈で「コスト削減のための管理手法」として導入されました。経営者が「SCMで在庫が減りました」「物流コストが下がりました」というレポートを受け取り、「よくやった」と承認するパターンが定着しました。
しかし、レジリエンスサステナビリティという新しいテーマは、「コスト削減」とは本質的に相性が悪いものです。デュアルソーシングはコストが上がります。ESG対応にはコストがかかります。BCPシミュレーションは「万が一」への投資です。
これを経営アジェンダとして捉え、「多少コストが上がっても、これは経営判断として必要だ」と言える経営者がいなければ、ダイナミックSCMの実現は不可能です。
CSCO(最高サプライチェーン責任者)の不在: 欧米の先進企業では、CSCOが役員として経営チームに参画することが当たり前になっています。日本では、CDO(最高デジタル責任者)を設置する企業は増え、一定規模以上の企業にはCLOの設置も義務付けられましたが、CSCOは依然として少数派です。SCMを経営の言語で語れる人材が経営層にいなければ、SCMは「現場のテーマ」のままで止まります。
問題の本質: 経営者がSCMを理解していないのではなく、「SCMが経営判断を必要とするテーマだと思っていない」ことが問題です。この認識のギャップを埋めることが、ダイナミックSCM実現の第一歩でした。
壁2:デジタルの壁 ── 「レガシーの呪縛」
多くの日本企業のITシステムは、数十年かけて積み上げてきた「レガシーの集積」です。
ERPが導入され、その上に需要予測ツールがあり、SCMプランニングのシステムがあり、各拠点には独自のシステムがあります。これらを繋ぐために、大量のシステム間インターフェース(データ連携プログラム)が作られています。リレー形式でデータが渡り、途中で「意思入れ」(人手による修正)が加わります。
このシステム構成で何が起きるか。「リアルタイムの全体可視化」ができません。「グローバルの需給を一つの画面で見る」ができません。「BCPシミュレーションに使えるデータが散在していて集められない」です。
「モダナイゼーション」の難しさ: レガシーシステムを一気に置き換えることは、コスト的にも期間的にも現実的でないことがほとんどです。かといって、継ぎ足しでパッチを当て続けると、複雑性はさらに増します。
ダイナミックSCMが提唱したアプローチは「外部のデータハブ・プラットフォームを構築し、レガシーシステムを徐々に解体する」というものです。すべてを一度に変えようとするのではなく、まず「情報が集まる共通の場」を作り、そこからAIや分析ツールを組み合わせていきます。
2026年の現実: AIエージェントの進化により、「散在するデータを集めて意味づける」能力は格段に上がりました。しかし、データがシステムに閉じ込められていて外に出せないなら、AIも機能しません。「データ基盤の整備」は、AI活用の前提条件です。どれほど優れたAIも、インプットとなるデータが整っていなければ力を発揮できません。
壁3:組織・人材の壁 ── 「横断的に動ける人がいない」
SCMは本質的に「横断的な仕事」です。需要予測は営業・マーケティングと連携し、生産計画は製造・調達と動き、物流はサプライヤーと顧客をつなぎます。サプライチェーン全体を俯瞰し、グローバルに調整できる人材が必要です。
しかし日本企業の組織設計は、縦割り(機能別・事業部別)が基本です。「購買部」「製造管理部」「物流部」「営業部」がそれぞれの領域で動き、横断的な調整はすり合わせ・会議体・調整担当者に依存します。
この構造では、「組織を横断して需給全体を動かす」が、全員の理解と合意形成を必要とするため、緊急時に素早く動けません。
SCM人材の育成不足: SCM領域の人材は、業務知識(需要予測・生産管理・物流)と、データスキル(統計・システム)と、組織横断のマネジメントスキルを兼ね備える必要があります。加えて、グローバルに動くためにはビジネス英語と異文化理解も必要です。
このような人材を育成するキャリアパスを設計している企業は少なく、APICS(サプライチェーン管理の国際認定資格)の取得者数でも、日本は欧米に大きく遅れをとっています。
「知の探索」が止まっている: SCM5.0が指摘したのは、「自社内でKnow-howを溜め込む」姿勢への偏重です。不確実性の高い環境では、自社内にすべての知識を持つことは不可能です。「誰が何を知っているか(Know-who)」を組織として共有し、外部の知識・事例・パートナーと連携する「知の探索」が必要です。業界横断のコンソーシアムへの参画や、異業種の事例研究が重要になります。
3つの壁が「負のループ」を生む
経営の壁・デジタルの壁・組織の壁は、それぞれ独立した問題ではありません。相互に強化し合い、「負のループ」を作っています。
経営層がSCMをアジェンダと捉えなければ、デジタル投資の優先度が上がりません。デジタル基盤がなければ、データに基づく意思決定ができません。データに基づく意思決定ができなければ、SCMの「経営への貢献」が見えにくく、経営者の関心が向かないのです。
組織・人材の問題も絡みます。SCMを主体的に推進できる人材がいなければ、変革プロジェクトが起動しません。変革が起動しなければ人材育成の機会も生まれません。
この負のループを断ち切るには、「どこかで外圧をかける」か「内側から問い直す力を持つリーダーが現れる」しかありません。コロナ禍は「外圧」でした。しかし外圧がなくなると、元に戻る会社が多いのです。
「適応課題」としてのSCM
現在SCMの問題を「技術的問題」ではなく「適応課題」として捉え直すことが必要になります。
「技術的問題」とは、専門知識や既存の方法論で解ける問題です。需要予測アルゴリズムの改善、システムの統合、プロセスの標準化。これらは「解ける問題」です。
「適応課題」とは、問題の解が既存の知識、人々のマインドセット・文化・行動パターン自体を変えることになる問題です。「SCMは経営アジェンダだ」という認識の変化、「データに基づいて上司に意見できる」文化、「組織を超えて情報を共有する」姿勢の変化。これらは「解ける」ものではなく、「適応する」ものです。
SCMをめぐる「より深い問い」
上記の3つの壁は、「どうやって解決するか」という「技術的問題」の問いを呼び起こしました。しかし今のSCMはより深い問いが必要です。
「そもそも、私たちはSCMで何を実現したいのか」「レジリエンスとサステナビリティを実現したSCMは、次に何を生み出せるか」「AIが高度化する中で、人がSCMで担うべき役割は何に変わるのか」。
SCM5.0が「ダイナミック(動的)」という言葉で表現したのは、「外部環境の変化に対応する能力」です。さらに今求められるのは「変化に対応するだけでなく、新しい価値を生み出す能力」です。



