GDL(グッズ・ドミナント・ロジック):モノが価値を持つ
20世紀の経済学・経営学の基本的な前提は「グッズ・ドミナント・ロジック(GDL)」です。日本語にすれば「モノ主導の論理」。
GDLにおいて、価値は「モノ(製品)」に内包されています。企業がモノを作り、流通させ、顧客に届けます。価値の生産者は企業であり、顧客は価値を「受け取る」存在です。
SCMにおけるGDLの表れは鮮明です。「モノを正確に・安く・早く届けること」がSCMの目的になります。在庫は「悪」であり、在庫削減は必達事項です。サプライヤーは「モノを供給するパートナー」であり、コストを下げるための交渉対象です。
GDLベースのSCMは、安定した環境で標準化されたモノを大量に供給することには優れた設計でした。しかし、顧客の価値観が多様化し、環境が不確実になるにつれ、この設計の限界が現れ始めました。
SDL(サービス・ドミナント・ロジック):価値は共創される
2004年、ヴァーゴ(S.L. Vargo)とルッシュ(R.F. Lusch)が「サービス・ドミナント・ロジック(SDL)」を提唱しました。
SDLの核心は「価値は企業が一方的に作るのではなく、顧客との相互作用(共創)によって生まれる」という発想です。製品そのものではなく、「顧客が製品をどう使い、どんな体験を得るか」に価値の本質があります。
Appleがハードウェアでなくエコシステム(App Store・サービス)で価値を提供していること、Airbnbが「部屋」ではなく「泊まる体験」を売っていること、Netflixが「ディスク」でなく「コンテンツ体験」を売っていること。これらはSDLの体現です。
SDLはSCMにも影響を与えました。「モノを届ける」から「価値ある体験を届ける」へ。SCMの役割は「効率よく流す」ことから「顧客の期待する価値を可能にするプロセスを設計する」ことへと拡張されました。
HDL(ヒューマン・ドミナント・ロジック):人間性が価値の源泉
SCM6.0「ジェネラティブSCM」が提唱するのは、SDLをさらに一歩進めた「ヒューマン・ドミナント・ロジック(HDL)」です。
GDL → SDL の進化が「モノ」から「サービス(体験)」への転換なら、SDL → HDL の進化は「サービス(体験)」から「ヒト(人間性)」への転換です。
HDLの核心的な問いは「SCMは、そこに関わるすべての人の人間性・創造性・尊厳を引き出しているか?」です。
具体的に考えてみましょう。「工場のラインで働く人は、自分の仕事に意味を感じているか?」「サプライヤーの担当者は、パートナーとして尊重されているか、それとも『コストセンター』として扱われているか?」「SCM担当者は、アルゴリズムの番人になっていないか?それとも、自分の判断と創造性を発揮できているか?」
これらの問いは、「効率」や「コスト」だけを基準にしていると、浮かんでこない問いです。
効率化・自動化・最適化の議論は、往々にして「人」を数式の変数として扱います。「人件費」「作業時間」「エラー率」。しかし、実際にその業務を担っているのは人であり、その人がどんな経験をするかが、長期的なSCMの持続性を左右します。
AIと自動化が進むほど、この問いは重要になります。「AIができること」を最大化するのではなく、「人がAIと協働してより豊かに働けるか」を設計することが求められます。
HDLが変えるSCMの設計思想
HDLをSCMの設計に持ち込むと、何が変わるでしょうか。
サプライヤー関係の変化: サプライヤーを「コスト交渉の相手」から「知識と創造性を持つパートナー」として捉えます。サプライヤーが持つ技術・市場知識・現地情報をSCMの価値創造に活かす関係設計。長期的な信頼関係の構築が、短期的な価格交渉よりも重要になります。
現場の役割の変化: 計画に従って実行するだけの「実行者」ではなく、現場情報を意味づけ、改善を提案し、エコシステムの変化を感知する「価値創造の主体」として現場を位置づけます。AIが実行の多くを担う時代に、人が担うのは「判断・感知・創造・関係構築」です。
SCM人材像の変化: 「業務プロセスを管理する専門家」から「ステークホルダーの創造性を引き出すファシリテーター」へ。人との対話・共創・信頼構築の能力が、技術スキルと同等以上に重要になります。
評価指標の変化: 「コスト削減額」「在庫回転率」という財務指標だけでなく、「サプライヤーとの関係の質」「現場従業員のエンゲージメント」「エコシステムへの価値貢献」も評価の軸に加わります。
現在、人間性が問われる場面
HDLは抽象的な哲学ではありません。現在のビジネス環境の中で、その問いは具体的な場面として現れます。
AIエージェントの普及と「人の意味」: SAP、Oracle、Microsoftなどの主要SCMシステムにAIエージェントが組み込まれ、在庫発注・調達先変更・物流ルート調整などをAIが自律的に実行し始めています。これが加速するとき、「人がSCMで何をするか」という問いが切実になります。単純な判断をAIに任せることで生まれる「人の役割の空白」を、創造的・戦略的・対話的な仕事で埋めることができるでしょうか。
ホルムズ危機と人の顔が見える供給: 2026年3月のホルムズ海峡封鎖を受け、多くの企業が緊急のサプライヤー変更・調達先確保に動きました。この局面で機能したのは、「長期的な信頼関係を持つサプライヤーとの直接対話」でした。最安値を選んできた企業は、いざという時に「頼める相手がいない」と気づきました。HDLが言う「人間性に根ざした関係性」は、危機の時にこそ価値を発揮します。
外注化の限界: 効率重視型SCMは、コスト削減のために業務の外部委託を進めてきました。しかし、単なるコスト削減のための「関係性が薄い」「つながりが浅い」供給体制は、変動への対応力が低くなりがちです。HDLが提唱する「人とのつながりを価値の源泉にする」発想は、「外注すれば安い」という短期的な最適化思考に問いを立てます。
GDL→SDL→HDLの3段階を自社で診断する
自社のSCMがどの段階にあるかを確認するための問いがあります。
GDL段階: SCMの会議で最も多く語られる言葉は何ですか。「コスト」「在庫」「リードタイム」のような「モノの指標」が支配的なら、GDL的発想が強いと言えます。
SDL段階: サプライヤーや顧客との関係で、「お互いの情報を共有して共同で問題解決する」場面がありますか。コラボレーションや共創が制度化されていますか。
HDL段階: SCMに関わる人(現場・サプライヤー・チーム)の「創造性・主体性・誇り」が組織の価値として語られていますか。「人のためのSCM」という言葉が自然に出てきますか。
この診断に答えを出すことよりも、「なぜ今の段階にあるのか」「次の段階に進むために何が必要か」を対話することが大切です。



