第1幕|未知の市場で、サプライチェーンをゼロから立ち上げる
話は被災のおよそ1年前にさかのぼります。
当時、筆者が駐在していた現地法人は、北中南米エリアで補修部品の供給を自分たちの手で広げていく任務を負っていました。それまで、その地域での販売やサービスは別の会社が担っており、自社が商流・物流・在庫まで全体を掌握してはいませんでした。新たな販売の枠組みに移行したことで、ゼロから自分たちのサプライチェーンを切り開くことになったのです。
やるべきことは多岐にわたりました。物理的に倉庫を立ち上げる。受発注から在庫、出荷までをつなぐシステムを導入する。在庫を仕込む。モノ・情報・カネの流れを一つの仕組みとして整える。筆者自身はシステム導入と業務設計の両方の経験を活かしプロジェクトチームの真ん中に立って、各所の調整役を担いました。約1年をかけて、サプライチェーンはひととおり動く状態になりました。
このとき私たちが得ていたのは、単に稼働するサプライチェーンではありませんでした。チームは「自分たちのサプライチェーンが、システムとしてどう動いているか」を肌で理解していました。将棋に似ています。盤上のルールと駒の動きを知り尽くしていれば、一手を変えると局面がどう変わるかが読めます。私たちは、自分たちのサプライチェーンについて、まさにそれが分かっているチームでした。
サプライチェーンを「決められた手順」としてではなく、「組み替えられるシステム」として理解していたこと。これが、1年後に効いてくることになります。
第2幕|被災から3週間、供給をつなぎ直す
立ち上げから約1年後、2023年初頭。トルネードが主力倉庫を直撃しました。屋根が大きく損傷し、倉庫は安全確保のため立入禁止。中にある部品は、たとえ無事に見えても持ち出せません。サプライチェーンの中核が、一瞬で機能停止に陥りました。
被災の第一報を聞いたとき、正直に言えば、チームには絶望感が漂いました。2年かけて築き上げてきたサプライチェーンが、文字どおり一瞬で吹き飛んだのですから。
けれども、次の瞬間には、私たちはもう次のことを考え始めていました。お客様と代理店への供給を、止めてはならない。いち早く、何としても部品をお届けする。それが自分たちの宿命なのだという思いが、誰に言われるでもなく、チームのなかで自明の前提として共有されていきました。
そこからは早かったと思います。まず現状を把握する。どの経路が止まり、いまどういう状態にあるのか。それを再び動かすには、何を、どう変えればよいのか。一つひとつ突き止めながら、再開へ向けた準備を、淡々と進めていきました。
不幸中の幸いは、私たちがこのサプライチェーンを自分たちの手でゼロから立ち上げ、その仕組みを深く理解していたことです。だからこそ、「どこをどう組み替えれば供給を流せるか」を、比較的すばやく見出すことができました。
このとき優先したのは、完璧さよりもスピードでした。多少の人手による運用や暫定的な仕組みになっても、まずは情報とモノを流すこと。そのために、社内外およそ20〜30名の関係者と、いま何が起きていて、どちらの方向に進むのかという状況とベクトルを共有し、一致団結して動くことを徹底しました。
判断を速くできた背景には、普段からの数値の見える化がありました。BIツールによってKPI(重要業績評価指標)を日常的にダッシュボード化しており、現地メンバーも日本本社も、同じ数字をいつでも見られる状態にしていたのです。被災によってフィルレート(注文充足率)が一気にゼロへ落ちる。それがサプライチェーンにどれほどのインパクトを与えるのかを、現地も本社も瞬時に同じ解像度で理解できました。共通の数字があったからこそ、経営層を含めた意思決定が速やかに進みました。
具体的な打ち手はこうです。被災を免れたサブ倉庫を使い、グローバル供給拠点からの航空直送便をそこへ集め、送り先ごとに仕分けるクロスドック機能を急きょ立ち上げました。エクセルのマクロ、メール、共有ファイルを総動員した、お世辞にも安定的とは言えない暫定的な仕組みです。それでも、現場の知恵と手作業で乗り切りました。航空便を多用するためコストはかさみますが、そこは状況を見て判断したものです。
こうして、被災からおよそ3週間後には、顧客への供給を再開できました。さらにその2か月後には、月間で過去最高の売上を記録しています。
いま振り返ると、ここで私たちがやっていたのは、「何が起きても、仕組みを組み替えて供給を止めない」ことでした。これを強靭性(レジリエンス)と呼びます。ショックを受けても、元の状態に戻せる力のことです。
第3幕|本当に大変だったのは、その後だった
暫定のサプライチェーンは立ち上がりました。けれども、難しかったのはむしろここからでした。
残されていたのは、被災して使えなくなった部品が散乱し、立入禁止となった主力倉庫です。ここを再び動かすには、地道な工程を一つずつ踏むしかありませんでした。まず、安全に立ち入るために建屋そのものを修繕する。修繕のためには中の部品を一部運び出す。修繕が終わって、ようやく中に入って整理ができる。そして検品です。長く雨風にさらされた部品も多く、とりわけ精密な機械部品については、技術者を交えて「これは再び使えるのか」を一つひとつ評価していきました。結果として多くは廃棄となり、まだ使えるものだけを丁寧に再梱包して販売に戻す。この繰り返しです。
加えて、現物と帳簿の在庫差異への対応もありました。短期間での倉庫立ち上げ、被災、そして並行して進んでいた事業再編に伴う大量の在庫移管が重なり、基幹システム・倉庫管理システム・現物のあいだに無視できないずれが生じていました。差異の分析と原因特定、関係者との粘り強い調整を重ね、在庫精度を取り戻していきました。被災にまつわる保険求償のためのデータ取りまとめも、この時期の仕事です。
こうした地道な作業を積み重ね、被災からおよそ1年をかけて、主力倉庫は本格的に再稼働しました。このとき強く実感したことがあります。壊れてしまったサプライチェーンを元に戻すのは、新しく立ち上げるよりもはるかに大変だ、ということです。
「元に戻す」だけで、これだけの時間と労力がかかります。では、ただ戻すことが、ゴールでよいのでしょうか。
第4幕|「元に戻す」その先へ ── 固定化を捨てる
私たちは、復旧で立ち止まりませんでした。その経験を糧に、同じことが起きても、より強く立ち向かえるサプライチェーンへと作り替えていったのです。
被災を通じて痛感したのは、サプライチェーンが一つの形に固定化していること自体がリスクだ、ということでした。供給が特定の拠点や経路に依存しているほど、そこが断たれたときの打撃は大きくなります。だからこそ、柔軟に組み替えられることが何より大切だと考えました。
具体的には、需要・リードタイム・コストを統合した拠点配置の分析に基づいて新たな倉庫を立ち上げ、供給の拠点を分散させました。さらに、グローバル供給拠点から顧客へ直接届ける船便・航空便のスキームも新たに構築しました。狙いは一貫しています。仕組みをいつでも柔軟に組み替えられる状態にしておくこと。そして、有機的につながった供給経路を一つでも多く持っておくこと。こうしておけば、どこかのサプライチェーンが断絶しても、次のルートがあります。
固定化を避け、組み替えられる選択肢を増やし、経験を次の備えに変える。実は、こうした考え方には名前があります。元に戻る「強靭性(レジリエンス)」のさらに先に、混乱や変動から学んで以前より強くなる、という考え方です。「反脆弱性(アンチフラジャイル)」と呼ばれます。反脆弱性が成り立つ条件として、複数の選択肢や経路を持つこと、局所的な失敗から学べる組み替え可能なモジュール型の構造を持つこと、そして何より、ショックから「学習する仕組み」を備えることが挙げられます。
私たちが被災のあとに進めたことは、振り返れば、まさにこの方向に沿っていました。元に戻すだけでなく、あの一件を糧に、変動に強い構造そのものを設計し直していたのです。「想定外」への本当の備えとは、起きないことを祈ることでも、分厚いマニュアルを完璧に整えることでもなく、起きてしまったあとに学び、次に強くなれる仕組みを持っておくことなのだと、筆者は考えています。
【テンプレート】「準備・対応・回復・学習」4フェーズ設計シート
事業継続を、従来のBCPがカバーする「準備・対応・回復」の3フェーズで終わらせず、最後に「学習」のフェーズを足すことが、反脆弱性に近づく一手です。下表は、各フェーズで自社のサプライチェーンに問うべき観点を整理したものです。右列には、本稿で振り返った被災対応を記入例として挙げています。自社の状況に置き換えてご活用ください。
| フェーズ | 自社SCMに問うべき観点 | 記入例(本稿の被災対応) |
|---|---|---|
| 準備 |
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サブ倉庫の存在を把握済み/BIツールでKPIをダッシュボード化/SCをゼロから立ち上げた実務チームが仕組みを深く理解 |
| 対応 |
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BIダッシュボードで全員が即時に状況把握/関係者約20〜30名に状況とベクトルを共有/暫定クロスドック機能を即時立ち上げ |
| 回復 |
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建屋修繕→部品検品→再梱包→販売復帰を順次実施/基幹システム・WMS・現物の在庫差異を解消/保険求償データの取りまとめ |
| 学習 |
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分析にもとづき新倉庫を立ち上げ供給拠点を分散/船便・航空便の直送スキームを新設/「反脆弱性」の視点でSCM構造を設計し直す |
参考文献など
- ナシーム・ニコラス・タレブ(望月衛 監訳、千葉敏生 訳)(2017)『反脆弱性不確実な世界を生き延びる唯一の考え方』ダイヤモンド社
- 本稿の事例は筆者の実務経験にもとづくものであり、企業名・拠点・金額などの固有情報は守秘の観点から抽象化しています。また、被災経験を反脆弱性の観点から整理した部分には筆者の私見が含まれます。



