
| 国立大学法人東京農工大学 学長 千葉 一裕 氏 |
| 農学博士(東京農工大学) 1983年キユーピー株式会社研究員としてキャリアを開始し、 1990年より東京農工大学で教授・副学長を歴任。 2020年4月より第14代学長に就任。 専門は生物有機化学などで、研究成果を基にベンチャー企業を創業した経験を持つ。 大学発スタートアップや産学連携、教育や研究の改革、国際展開に尽力し、内閣府・文科省・農水省などの要職も歴任。 |
1 月8 日、東京農工大学 千葉一裕学長と、フォーティエンスコンサルティング株式会社 代表取締役社長・山口重樹による対談が行われました。
「自然資本×社会実装× 産学連携×人材育成×AI 」をテーマに、大学と企業が未来社会にどう貢献していくべきかについて、両氏がそれぞれの立場から語ります。
今回は、第1 部「変革を加速させる要素としての AI」「自然資本を扱う難しさと、AI への期待」をお届けします。
第1 部:変革を加速させる要素としての AI
千葉氏
本日はお時間をいただき、ありがとうございます。
この対談では、東京農工大学の展望をお伝えしつつ、AI に関することを中心に山口社長と有意義な意見交換ができればと考えています。
まず、最初にお話ししたいのは、私たちが現在最も重視していることなのですが、それは「変革を加速させる要素としてのAI」という視点です。
今日、社会変革のスピードは劇的に速くなっていますが、その変化を象徴する存在がAI の急速な進展ですね。
しかし、AI は単なる効率化の道具ではありません。知の集約、意思決定、そして価値創出のあり方そのものを変えつつあります。
社会が課題を認識し、思考し、行動に移すまでの時間を、これまでとは比較にならないほど短縮させ始めています。
一方で、自然資本やサステナビリティの課題は不確実性が高く、長期的かつ複雑に絡み合っています。
そのため、これまでは「重要だが扱いにくい理念」という認識がありました。しかし、私たち東京農工大学では、自然資本とAI は決して無関係ではないと考えています。むしろ「データの分散」「関係性の複雑さ」「正解が一つではない」という自然資本特有の性質こそ、中立的なAI が力を発揮できる領域ではないでしょうか。そこで、本日の対談ではAI を目的として語るのではなく、社会をより良い方向へ動かすための「手段」としてどのように使うべきかに焦点を当てたいと思います。
コンサルティング事業を通して社会変革をリードされている山口社長は、昨今のAI 市場の拡大をどのように捉えておられますか。
山口
ありがとうございます、本日はよろしくお願いします。私はフォーティエンスというコンサルティング会社を経営しておりますが、まさに学長がおっしゃった「社会変革の手段としてのAI」という視点に強く共感いたします。弊社では様々な企業の変革をご支援していますが、
AI はお客様の事業変革にとって、もはや避けては通れない、極めて大きなインパクトを持つ要素です。この「デジタル+AI」という武器をどのように戦略的に活用していくかが、今後のビジネスの成否に直結するのだと考えています。

これからの大学は
AI に考えさせる人を育てるべき
千葉氏
その「フォーティエンス」という社名は、新たに作られた造語なのですね。
先見性(Foresight)、不屈の精神(Fortitude)、知性(Intelligence)、そして経験(Experience)。これら四つの要素を組み合わせた社名からは、これからの時代をリードしようとする強い意志が伝わってきます。 この社名を伺ったとき、私は大学人の一人として、これからの社会においては大学の役割がますます重要になると意を強くいたしました。
なぜなら、フォーティエンス社のような企業の新しい挑戦を支えるためには、大学としても未来に向けて自律的に「問いを立てられる人材」を育てていくことが不可欠だからです。
そのためには、専門知を備えた上で、新たな知を自ら生み出す力を養わなければなりません。
これまでは「既にある知を学ぶ」ことが教育の主流でしたが、これからは「知を創出する」というプロセスそのものが重要になります。不確実性に耐え、AI に対して正しい問いを与え、さらには社会的責任を正しく理解する。こうした本質的な教育は、政府の方針としても大学教育の現場においても、ますます不可欠なものとなってきているのではないでしょうか。
一言で言えば、これからの大学は「AI に考えさせる人を育てるべき」だと考えています。
山口
ありがとうございます。社名について補足させていただきますと、おっしゃる通り「Foresight(先見性)」と「Intelligence」という未来志向の視点に加え、それを実現するために地に足をつけなければならないという考えから、「Fortitude(不屈の精神)」と「Experience」を組み合わせています。今、千葉学長が話されました「問いを立てる教育」は、まさにビジネスの現場でも共通の課題です。
AI 時代に重要になるのは、深い業務知識に裏打ちされた「仮説設定力」です。仮説を立てようにも、深い業務知識がなければ始まりません。
形式知化された領域はAI が担うことができますが、まだ形式知化されていない現場のノウハウをいかにAI 化し変革を加速させていくか、これがこれからの大学と企業が取り組むべき重要な課題なのだと考えています。
千葉氏
山口社長のおっしゃる「仮説設定力」こそ、まさに大学が目指す「問いを立てる力」と重なります。そうした力を備えた人々が活躍するAI 社会は、今後どのような姿に発展していくと考えておられますか。

デジタルという確固たる土台があってこそ、AI が真価を発揮する
山口
私は、AI の前にまず「デジタルという確固たる土台があってこそ、AI が真価を発揮する」と思っています。デジタル化には3 つのフェーズがあります。
第1 のフェーズは「取引コスト(トランザクションコスト)の低減」です。Uber やAirbnb のように、デジタル化によって信頼性が担保され、これまで取引できなかったものが取引可能になった段階です。
第2 フェーズは「財やサービスのデジタル化」です。私はこれを「コネクテッド・インタンジブルなプロダクト」と呼んでいるのですが、手に触れない無形の資産が流通し、経済活動の大半がデータとして広がった段階です。
第3 フェーズが「AI による自律化と知の創出」です。現在の生成AI の本質は「ストーリーを作れる」という点にあります。単に回答するだけでなく、文脈を立てて論理を構築する。最近では「エージェンティックAI」のように、AI が自律的に判断し、実行することも可能になりつつあります。 さらにもう一点大きな変化は、インターネット上のデータだけでなく、センサー情報などの「リアルなデータ」が学習対象になることです。そうなれば、人間が気づかなかった因果関係が読み解かれ、新しい知が生まれます。
データ化とAI 化は一体であり、AI だけが独り歩きするものではないと考えています。
千葉氏
「データ化とAI 化が一体となって知を生み出す」というお話、非常に重要な観点ですね。
私たち大学には、個々の研究者が深掘りしてきた膨大な知見があります。それら一つひとつの貴重な情報を、山口社長のおっしゃるようにAI を活用していかに統合し「構造知」にするか。つまり、大きなストーリーを構築して社会と対話するという役割が、今、大学に求められています。
そのプロセスにおいて、AI は研究活動を強力に支えるパートナーになるのではないでしょうか。
山口
おっしゃる通りです。ただ、もう一点補足させてください。ある実験では、AI がストーリー(ナラティブ)を語ると、人間の意思決定が強力に引きずられる、という結果があります。AI は活用次第で社会もよくしますが、一歩間違えれば非常に怖いリスクも孕んでいるのだということを私たちは自覚しなければなりません。
千葉氏
AI の持つ「ストーリー構築力」のリスクと可能性、肝に銘じるべきお話ですね。

自然資本を扱う難しさと、AI への期待
千葉氏
それでは、そのAI を「不確実な課題」にどう適用するかという観点から、自然資本のテーマについて意見交換をさせてください。
自然資本は本当に難しい分野です。データが分散しており定量化も困難で、研究者の立場から見ても単一の学問では捉えきれません。
企業の立場から見ても重要ではありますが、非常に扱いにくい存在なのではないかと感じているのですが、山口社長はビジネスの現場で自然資本をどのように見ておられますか。
山口
自然資本は、食料や飲料、建設・不動産、資源などいくつかの産業において最も不可欠な材料だと言えます。ただ、この自然資本について経済や経営の観点から考えますと、その扱いにくさを象徴するのが「共有地の悲劇」という概念だと思います。
例えば、各農家が共有の牧草地で羊を飼う際、個人の利益を優先して過剰に羊を飼うと牧草地が枯渇してしまいます。自然資本が過剰消費されてしまう、これが現在の環境問題の本質でしょう。この課題に対し、私は自然資本を「データ化」し、デジタル技術を通じて市場メカニズムに乗せていくことができると考えています。Airbnb やUber がそうであったように、データによって可視化されれば、これまで取引や評価が難しかった自然資本の価値を、正当に扱えるようになるのではないでしょうか。
GDP や短期的な財務指標だけでは、企業の持続性を正しく評価できなくなっていく
千葉氏
データ化によって市場メカニズムに乗せるというお話は、非常に腑に落ちます。従来のようなGDP や短期的な財務指標だけでは、企業の持続性を正しく評価できなくなっています。いわゆる「負の外部性」を可視化し、それを織り込んだ上での「本当のリターン」を評価する視点が重要です。
その一つの考え方として、自然資本をIRR(内部収益率)のような視点で捉え直すことも必要ではないでしょうか。大学の専門家の役割は、多様な評価軸やモデルを理解しながら、AI を活用してそれらを再現性のある形に落とし込むことにあります。
これこそが産業界と大学が共有すべき「将来価値」の評価手法なのだと思っています。
山口
おっしゃる通りですね。自然資本をデータで「見える化」することで真のコストが見えてきます。活用方法として具体的に三つのアプローチが考えられます。
一つ目は「効率化と無駄の排除」です。農機具メーカーのジョンディア社の例では、センサーで土壌や雑草の状況をデータ化し、AI が必要な箇所だけに農薬を散布することで使用量を66%削減しています。これは「見える化」したからこそできた話です。
二つ目は「価値の算定」です。森林のCO2 吸収量を衛星で観測し、データを通じてこれまで評価されていなかった価値を算定可能にします。
三つ目は「市場化と規制の融合」です。データが集まれば、AI を使って最適化や次のアクションを導き出せます。排出権取引などのように、市場取引に馴染まなかった外部経済をデジタルの力で仕組み化していくのです。もちろん規制というルール作りも不可欠ですが、データとAI、そして人間が作るルールを掛け合わせることが、自然資本を長い目で維持していくための解になるのではないでしょうか。
千葉氏
農業の現場を知る立場から申し上げても、その方向性には強く同意します。例えば、水田は日本人が長年培ってきた高度な雑草防除法としても有用な方法なのですが、世界中どこでも水田ができるわけではありません。陸稲方式をとらざるを得ない地域では、雑草対策が最大の課題となります。
ここで山口社長がおっしゃったように、衛星データで正確な情報を把握できれば、ピンポイントでの雑草防除等の管理が可能になります。
また、肥料が環境負荷となっている問題も精密な管理によって解決できるでしょう。消費者が「安さ」だけでなく、そのプロセスの「本質的な価値」を共有し、納得して選択できる社会。そこで果たすAI の役割は、学問の壁を超えて非常に大きいと言えますね。