地政学的リスクや輸出規制、ESG要件の厳格化により高まる鉱物サプライチェーンの分断リスクは、企業の生産停止や収益圧迫といった深刻な経営インパクトを招く。さらに、法令遵守だけでは防げない「グレーゾーンリスク」が企業の信用を揺るがす事態が増えている。本稿では、こうした不確実性にどう備え、ESGと経済安全保障の要請に応える意思決定プロセスをいかに再構築すべきか、その具体策を提示する。
目次
1. 生産停止と収益圧迫:分断リスクが経営を揺るがす
地政学的リスクの増大や戦略物資の輸出規制により、サプライチェーン分断リスクは、現代企業の経営における最重要課題だ。本稿で取り上げる「鉱物サプライチェーンの分断リスク」とは、資源国での紛争や特定国による輸出規制、ESG要件違反によるサプライヤー除外などによって“調達停止”または“供給の大幅な遅延”が発生し、企業の生産・売上・信用に重大な影響を与える事象を指す。
特にEVや半導体の製造に不可欠な鉱物資源は、産出国が地理的に偏在し代替手段も限られるため、構造的な脆弱性を抱えている。多くの資源国ではガバナンスの未成熟さや人権侵害といった深刻なESG課題も未解決のままであり、「ESGリスク」と「経済安全保障リスク」が地理的・構造的に重なり合う、複雑で不安定な領域なのだ。
この分断リスクは、単なる調達の困難にとどまらない。その象徴的な事例が、銅とニッケルをめぐる2022年前後の供給混乱である。銅については、主要産出国のチリやペルーで資源ナショナリズムに加え、労使紛争や地域住民との摩擦により鉱山の封鎖や操業停止が相次ぎ、需給が逼迫。現物価格が先物価格を上回る「バックワーデーション」(短期的な供給不足が極度に深刻化していることを示す市場の危険信号)を常態化させた。さらに、ロシア・ウクライナ情勢を背景としたニッケル価格の異常な高騰は、ロンドン金属取引所(LME)が全取引を一時停止する異例の事態にまで発展した。
このように、鉱物サプライチェーンの途絶は、市場の価格形成機能そのものを揺るがし、買い手企業にとって生産の停滞や収益圧迫といった、深刻な経営インパクトへと直結する。しかし、多くの企業ではリスク対応が組織として追いついていないのが実情だ。
2. 「属人・形式・分断」が生む脆弱性:グレーゾーンリスクの温床
多くの企業がサプライチェーンリスクの重要性を認識しつつも、現場レベルでは「属人的」「形式的」「分断」された対応という根深い構造課題が常態化している。
「属人的な対応」とは、リスク評価やサプライヤーとの交渉が、特定の担当者の経験や勘に依存する状態だ。例えば、高リスク国の判断基準が明確でなく、担当者がニュースの解釈で判断したり、サプライヤーとの力関係から強く出られず、問題の指摘が曖昧になったりする。
「形式的な対応」は、リスク管理が本来の目的を失い、手続き自体が目的化した状態を指す。サプライヤーの事業実態を深く理解するためのKYCプロセスが、単なる書類回収作業に形骸化し、シートに未回答項目があっても見過ごされるといった事態がそれに当たる。
そして「分断された対応」は、部門間で情報が共有されず、全社的な視点が欠如している状態だ。事業部ごとにバラバラにサプライヤー管理を行い、監査で得られた貴重な知見が組織全体で活かされない。
こうした現場の属人的・形式的・そして分断された対応は、経営層が意思決定に使える信頼性あるリスク情報を体系的に吸い上げることを不可能にする。その結果、経営層はサプライチェーン全体のリスクを正確に把握できず、「リスク対策への投資対効果が見えない」という戦略的な躊躇に繋がってしまう。
そして、この構造的な脆弱性が、ある日突然、予期せぬ形で経営リスクとして顕在化する。それが「グレーゾーンリスク」だ。従来のコンプライアンスが問うのは「この行為は国内法で合法か」という点であった。しかし、グレーゾーンリスクが問うのは、「この取引は自社のESG理念や社会の要請と整合するか」「欧米の主要顧客や投資家はどう評価するか」といった、より複雑な問いである。こうした未来志向かつステークホルダー中心の問いを怠ることが、企業を予期せぬ危機に晒す。
ある金属メーカーの事例では、国内法を遵守し、監査法人からも保証を得ていたにも関わらず、ロシア産原料の取引が国際的な業界団体から “Incident” として公表された。これは明確な規制違反ではない「グレーゾーン」の解釈を巡る問題であり、主要顧客からは取引停止を求められる一歩手前の状況にまで発展した。この事例は、「グレーゾーン」問題が、いかにして「分断リスク」へと即座に転化しうるかを如実に示している。現場の構造課題は、平時は水面下に潜伏しているが、国際情勢の風向きが変われば、突如表面化し、企業の事業継続を脅かすのだ。
3. 脆弱な現場からの脱却:再現性あるリスク管理体制を構築する
前章で示した「グレーゾーン」リスクは、従来のやり方の限界を浮き彫りにした。国内法や既存の監査プロセスだけを頼りにしていては、グローバルな業界標準やステークホルダーの期待との間に生じる「解釈のズレ」に対応できない。では、どうすれば予期せぬ”Incident”に翻弄されることなく、主体的にリスクを管理できるのだろうか。その処方箋は、担当者の個人的な知見に依存した属人的な対応から脱却し、組織として再現性のあるリスク管理体制を構築することだ。先のロシア産原料の事例では、混乱の末に迅速な経営判断と顧客説明に繋げることはできたが、その対応は担当者が長年蓄積した経験と社内外のネットワークといった個人的なスキルに大きく依存していた。これは裏を返せば「特定の担当者がいなければ対応できなかった」という組織的な脆弱性を意味する。この事例は、「誰かの暗黙知」に頼るのではなく、「誰でも実行できる仕組み」の必要性を強く示唆している。
その土台となるのが、「ルール整備」「業務の仕組み化」「情報の一元化」という3つの要素である。まず「ルール整備」では、リスク評価の基準や、検知後の対応プロセスを明確に定義し、担当者による判断のブレをなくす。次に「業務の仕組み化」では、整備したルールを実際の業務フローに落とし込み、誰が、いつ、何をすべきかを標準化する。そして「情報の一元化」では、サプライヤー情報やリスク評価、監査記録といった散在していた情報を一つの場所に集約し、関係者全員が同じ情報にアクセスできる環境を整える。
これら3つの要素は、三位一体となって属人性を排除し、判断の標準化と再現性を担保する。この「標準化された仕組み」をデジタル技術で実現する上で核となるのが、「意思決定を起点とした設計思想」だ。これは、単なるデータ収集やツール開発ではない。まず「誰が(ペルソナ)」「何のために(ユーザーストーリー)」その情報を必要とするのかを定義し、彼らの「意思決定」を支援する点にある。
例えば、「コンプライアンス・オフィサーとして、人権侵害リスクが報道されたサプライヤーを即座に特定したい。なぜなら、迅速な調査開始が必要だからだ」といった具体的なユーザーストーリーを定義する。その問いに対し、AIが膨大な情報から客観的な判断材料を抽出し、誰もが理解できる形で提示する。これにより、担当者は、かつて一部のベテランの経験と勘に頼っていた判断を、標準化された客観的データに基づいて行えるようになる。AIが判断材料を標準化し、人は最終的な意思決定に集中する。この設計思想を応用することで、リスク検知時に「取引を継続するか、是正を交渉するか、停止するか」といった重要な経営判断を、客観的データに基づき「迅速」かつ「再現的」に行うことが可能になる。
4. リスク管理の徹底が、未来の事業競争力を創出する
本稿で提示した、再現性のあるリスク管理体制の構築は、単なる損失回避(マイナスをゼロに戻す活動)にとどまらない。その活動自体が、不確実性の時代を勝ち抜くための「事業競争力」(ゼロをプラスにする活動)の源泉となる。
なぜなら、ESGや経済安全保障への関心が高まる今、顧客や投資家は、取引相手の「安定供給能力」や「リスク管理体制の透明性」を、価格や品質と同等、あるいはそれ以上に厳しく評価するようになったからだ。
本稿が提言する「再現性のあるリスク管理体制」を構築し、それを顧客や市場に対して明確に実証すること。それ自体が、競合他社に対する強力な差別化要因となり、不確実性の時代において「選ばれる」ための決定的な武器となる。これは、新たな顧客獲得や有利なパートナーシップに直結し、まさしく企業の売上拡大に貢献する「事業競争力」そのものである。
例えば輸出規制といった有事の際、競合が混乱する中で迅速に対応できることは、この体制がもたらす結果の一つに過ぎない。その本質は、平時から築き上げた信頼性こそが、未来の競争優位を確立することにある。サプライチェーンの強靭化は、もはや単なるコストではない。それは、未来の競争優位を確立するための、組織能力そのものへの「投資」なのである。