第1回は、マーチャンダイジング(MD)の役割を「売りたい売り場を作ること」から「購買行動の集積から売り場を逆算すること」へと再定義した。しかしこのコンセプトは業界慣習としてのMD像から大きくかけ離れており、具体的にイメージできない読者も多いだろう。そこで第2回では実店舗小売業が抱える具体的な課題にフォーカスし、その解決策として筆者の提唱したコンセプトが有効であることを確認していく。
今回テーマとする課題はロイヤルカスタマー戦略だ。一般にロイヤルカスタマーとは売り上げ・利益への貢献度が高く、店舗ロイヤルティーの高い顧客群である。コスト増・競争激化の時代を生き抜く小売業にとって顧客生涯価値(LTV)最大化は最重要課題であり、その中核をなすのがロイヤルカスタマー戦略である。しかしロイヤルカスタマー戦略は「言うは易く行うは難し」の筆頭であり、その実現には複数の障壁を突破する必要がある。以降ではその障壁の正体とデータドリブンアプローチの有用性について詳しく解説していく。
目次
第1章:RFM分析は肝心なことを教えてくれない
ロイヤルカスタマーの重要性は、多くの小売企業が認識している。そして会員IDを保有する企業であれば、RFM分析でロイヤルカスタマーを「特定」すること自体はさほど難しくない。RFM分析とは、顧客の購買データから「直近購買日(Recency)」「購買頻度(Frequency)」「購買金額(Monetary)」の3つの指標でスコアリングするもので、スコアが高い顧客を抽出すればよいからだ。
しかしここに本質的な落とし穴がある。RFM分析では各スコアの高い人をフィルタリングしているだけで、購買“結果”のごく一部を確認しているに過ぎない。一方で本当に知るべきは“要因”だ。小売企業が意思をもってロイヤルカスタマーとの関係を維持・発展させるなら、彼らをロイヤルカスタマーたらしめる要因を知る必要がある。言い換えると、「わが社のロイヤルカスタマーはどのような人々か?」について解像度の高い理解が不可欠である。
例えばロイヤルカスタマーの好みや購買傾向が分からなければ、彼らを惹きつける売り場や販促の設計指針が立たない。結果として施策は「全員向け」の値引きやポイント還元に収斂していくだろう。さらに重要なのはロイヤル化のポテンシャルを秘めた顧客層、いわば潜在ロイヤルカスタマーの育成だ。RFMスコアの次点顧客群がポテンシャル群である確証がない中で、誰にどう訴求すればロイヤルカスタマーを増やせるか把握できている企業は少ない。離反リスクの高いロイヤル顧客を事前検知することも同様だ。
以上のようにRFM分析は顧客を「仕分ける」ための有効な手段だ。しかし小売企業にとって肝心なインサイトを与えてくれるわけではない。RFM分析で満足している限りロイヤルカスタマー戦略は永遠に一歩目を踏み出せない。
第2章:ロイヤルカスタマーの理解を阻む2つの壁
RFM分析の限界を知った今、「ではロイヤルカスタマーの解像度を上げるにはどうすればよいのか?」と疑問を持つ読者は多いだろう。しかし焦りは禁物だ。「So How?」は第3章のテーマとして詳しく扱うが、第2章ではその前提となる「So What?」に焦点を当て、突破すべき課題を明確にしていきたい。
「ロイヤルカスタマーに共通する特徴・傾向」を知るべきと論じてきたが、そもそも人の特徴・傾向にはさまざまな側面がある。一体我々はロイヤルカスタマーに関する何を知るべきなのだろうか。彼らの好き嫌いか、価格反応度か、来店行動の特性か、あるいはパーソナリティーや価値観か。この問いに明確な答えを得ることは想像以上に難しい。ここに大きく2つの壁が立ちはだかるためだ。
<第1の壁:標準業務では見えてこない>
まずは図2をご覧いただきたい。A店とB店は同程度の商圏規模を想定した同じサイズの店舗である。しかしそれぞれの店舗にひもづく商圏顧客や競合店舗、立地条件は異なるとしよう。これは現実世界においても違和感のない条件設定だ。さて、読者の皆さまはA店とB店のロイヤルカスタマーは同じような属性の人々だろうと予想するだろうか。
お気づきの通り、ロイヤルカスタマーの特徴は店舗の立地・客層・競合環境といった競争環境に大きく依存する。首都圏の駅からほど近いA店には、ビジネスパーソンやDINKS(子どもを意識的に持たない共働き夫婦)世帯といった顧客の来店が多そうだ。また競合店の影響から日用品の売れ行きは振るわないだろう。一方で地方都市のロードサイド店であるB店はファミリー層の来店が多いと思われる。周囲に競合店は少なく、自動車での来店も多いことを踏まえると、幅広い商品のまとめ買い需要が強いかもしれない。
このようにロイヤルカスタマーの理解を深めるには丁寧な観察と仮説思考が不可欠だ。これは事業効率化の最重要アプローチ、「業務標準化」と完全に相反する。店舗小売業における業務標準化は、商圏サイズ別に決められた店舗フォーマットを軸とすることが多い。つまり同じサイズの店舗は同じような価格、品ぞろえ、販促が適用されることになる。これは人間業による標準化の完成形ともいえるモデルだが、この限界を超えなければロイヤルカスタマーの深い理解にはたどり着けない。
<第2の壁:人間の仮説検証では正解にたどり着けない>
では特定の重要店舗であるX店に狙いを絞り、人間が丁寧に仮説検証を行えば、X店のロイヤルカスタマーを特定することができるだろうか。実はこの手法にも難点は多い。
まず、仮説立案の時点で分析者の認知バイアスが介在することが問題だ。例えば「ロイヤルカスタマーには健康志向の人が多いだろう」という仮説を設定し、彼らの購買履歴を詳細に調査することはできる。しかし「なぜ時短志向ではなく健康志向なのか?」と問われたとき、根拠を添えて回答できる分析者は少数だろう。問いの立て方によって発見すべき特徴・傾向を自ら排除してしまう。このリスクこそが認知バイアス問題の核心だ。
それなら仮説検証を何度も繰り返すことでバイアスをなくせるのではないかと考える人もいるだろう。そのアイデア自体は鋭いが現実的ではない。なぜなら仮説検証できる可能性はほぼ無限に存在するからだ。ロイヤルカスタマーの特徴・傾向は、多数の顧客と多数の商品が交差する無数の組み合わせの中に潜んでいる。これを人間の認知能力のみで探し出すことは限りなく不可能に近い。
まとめると、ロイヤルカスタマーの特徴・傾向は標準的な手法で簡単に見つかるものではなく、かといって人間業で探し出そうとしてもゴールにたどり着くことは困難を極める。これこそがロイヤルカスタマーの解像度が長らく低いまま放置されてきた真の理由である。
第3章:データサイエンスが2つの壁を打ち破る
<機械学習は究極の標準化システムである>
人間の限界ともいえる二重の壁を突破するには、人間業を超越したアプローチが必要である。それこそが機械学習である。
機械学習は「アルゴリズムによる最適化を通じて、大量のデータから有益なアウトプットを獲得する仕組み」などと表現される。技術的かつ抽象的で、これがビジネスにどう有用なのか見当がつかない方も多いだろう。そこで筆者は機械学習を次のように解釈している。
「機械学習とは、特定の考え方・判断方法を事前に設定・整備することで、目的や状況に応じた最適な判断・インサイトを自動的に与えてくれる仕組みである。」
このアイデアは標準化そのものである。つまり少数の仕組みで多岐にわたる現場や状況にメリットをもたらす、拡張性を備えているのだ。しかも従来の標準化より柔軟であることにも目を向けたい。これまでの標準化では想定される場面/ケースをパターンとして固定するが、機械学習では考え方・判断方法を固定する。これにより、現実世界の様子が反映されたデータを投入するだけで、状況に応じた最適な情報を得られるわけだ。また機械学習は人間には到底処理できない量の情報を簡単に処理できる。つまりビジネスの世界において機械学習とは、人間を凌駕する認知機能で状況に応じた最適化を考えてくれる究極の標準化システムなのだ。
<大量データの構造を解き明かす先端技術、VAEとは?>
ではロイヤルカスタマーに共通する特徴・傾向の発見に話を戻そう。
結論から言えば、ロイヤルカスタマーの背後に構造的特徴・傾向が存在するなら、機械学習によってそれを発見できる可能性は十分にある。
機械学習にはさまざまな分野が存在するが、その中で筆者が注目するのは変分オートエンコーダー(VAE)という技術だ。技術的な詳細は第3回の「ケーススタディ:InstacartのID-POS分析」にて解説するため、本稿では非技術者向けにイメージが伝わるような表現で説明させていただく。厳密さに欠ける内容を含むことをあらかじめご理解いただきたい。
VAEはどのようなことを可能とするのか。端的に言えば、大量のデータの裏側に潜む重要な特徴を自動的に取り出す技術だ。驚いた人もいるだろう、これはまさにロイヤルカスタマーに共通する特徴・傾向を知りたいという当初の目的にピッタリ当てはまる技術だ。
経緯をたどると、VAEは画像生成や画像識別のために考案された仕組みである。例えば、手書きの数字の画像を数万枚と用意しVAEに投入すると、書き癖や書き損じなどのノイズが消え、きれいになった手書き文字の画像が自動作成される。このようなことができるのはVAEが大量の画像データから重要な特徴を発見し学習しているためだ。手書き数字であれば、「8という数字には輪っかが2つある」「4という数字には線が3本ある」といった特徴・傾向を発見していることになる。
しかしVAEは画像を作る技術ではない。大量のデータから構造的特徴を学習することこそがVAEの本質だ。であれば、VAEは購買データからも本質的な特徴を発見できるはずだ。
そこで筆者は次の仮説を立てた。「VAEに顧客の購買データを大量に投入すれば、全顧客にまたがる購買行動の特徴を抽出できるのではないか?店舗別の売り上げ実績や商圏データを投入すれば、全店舗を俯瞰した需要構造としての特徴を発見できるのではないか?」
この仮説を検証するため、筆者は実際にVAEを作りID-POSデータ(顧客IDがひもづいたPOSデータ)を投入してみた。先述の通り、詳細は第3回「ケーススタディ:InstacartのID-POS分析」に委ねるが、次章ではその分析結果がロイヤルカスタマー戦略をどのように変革するかを具体的に論じていく。
第4章:VAEのインサイトは戦略を上流から変える
<VAEで明らかになるロイヤルカスタマーの特徴・傾向>
まずVAEに購買データを投入するとどのようなアウトプットを得られるか確認しよう。ケーススタディのInstacart分析を例に取ると、「誰が・何を・何個買ったか」というシンプルな購買データを投入するだけで、「購買アクティブ度」「健康志向度」「ナチュラル志向度+時短・少量買い傾向」という独立した嗜好の軸が自動抽出された。
同様に、ある店舗のロイヤルカスタマーのデータを投入すれば、彼ら全員の購買行動にまたがる特徴・傾向が浮かび上がることになる。「A店のロイヤルカスタマーには健康志向が強い」「一方でB店のロイヤルカスタマーには即食傾向が強い」といった具体的な顧客像をデータから直接うかがい知ることができるのだ。
これらの軸は分析者が設定したものではない。VAEが発見した、大量の購買データの中に潜む構造的な特徴・傾向そのものである。つまり先に大きな特徴を発見し、その後で人間が確認・解釈によって「健康志向度」などの業務上意味のある軸として理解しているのだ。これは人間には気づくことのできない特徴をバイアスなくありのまま捉えている点で、従来のアプローチとは根本的に異なる。
<VAEの恩恵は多岐にわたる>
VAEから得られるロイヤルカスタマーの構造的特徴・傾向はロイヤルカスタマー戦略を上流から変える。その変革は3つの段階で進行する。
まずターゲットが変わる。「RFMスコアの高い人全員向け」から「この嗜好構造を持つ顧客層向け」へと施策の対象をより具体的・本質的に絞りこむことができるからだ。さらに驚くべきことに、VAEで発見した「健康志向度」のような軸は定量的に比較・評価することができる。例えば10,000人のロイヤルカスタマーのデータを投入すると、10,000人の「健康志向度」がそれぞれ数字で出力される。つまりこの軸の数字が大きい顧客を上から1,000人集めるだけで、「健康志向度」が特に強い上位10%の顧客リストが簡単にできあがる。これは従来のアプローチでは実現しえない画期的な成果だ。
次に施策の内容が変わる。ロイヤルカスタマーやポテンシャル群が「具体的にどのような人物か」「どのような傾向を持つ人々か」が分かるからこそ、販促や売り場づくりをより詳細なレベルでチューニングできるようになる。例えば「ナチュラル志向かつ少量・時短買いの傾向を持つ顧客層がロイヤル化しやすい」というインサイトを得たならば、その層に響く品ぞろえの強化、陳列位置の最適化、訴求メッセージの設計が具体的に検討できるようになる。仮説の精度が上がれば、施策の蓋然性は必然的に高まる。
最後に評価と意思決定が変わる。「誰に、何をすべきか」が明確になれば施策の評価も精緻化できる。ロイヤルカスタマーを高い解像度で理解できるからこそ、施策の実行可能性や効果の見込みをより正確に判断できるようになる。特にロイヤルカスタマーと潜在ロイヤルカスタマーの構造的特徴を個別に分析すれば、その差分からロイヤルカスタマー育成に効果的な施策の方向性を見いだせるかもしれない。いずれにせよ限られたリソースをどの顧客層・施策に集中投下すべきか、勘と経験ではなくデータに基づいた根拠ある判断が可能になる。
さらに上記インサイトは店舗・商圏単位で異なることを忘れてはならない。A店のロイヤルカスタマーが健康志向の強い顧客層であっても、B店では価格志向の強いファミリー層がロイヤルカスタマーの中核を担っているかもしれない。VAEによる分析を店舗別に実施することで、画一的なMDから脱却し、商圏の実態に根ざした個別最適な売り場設計が現実のものとなる。これこそが、前稿で提言した顧客主権に基づくMDの具体的な実践形態だ。
おわりに:貴社がデータをビジネス価値に変える
機械学習や高度なデータ活用が小売業にもたらす恩恵は、本稿で述べてきた通り本物だ。しかしそこに至るプロセスが容易だと言うつもりはない。
特に強調したいのは、分析の前後に位置する2つのアクションの重要性だ。1つは「何を知るべきか」というビジネス上の目的・ゴールを設定すること。もう1つは分析から得られた結果を解釈し、具体的な業務アクションへと接続することだ。この両方によって初めてデータの価値はビジネスの価値に転換される。そしていずれもデータサイエンティストには担えない工程だ。確かにモデル構築やパラメータのチューニングなどデータサイエンティストの専門性は必要不可欠である。しかし機械学習は手段に過ぎない。自社の顧客・商圏・競合環境を深く理解している小売企業自身が、意思を持ち改革をリードすることが肝心である。
貴社のビジネス理解と弊社の技術的知見が掛け合わさるとき、機械学習による新たな地平が開ける。貴社との二人三脚でその景色を目の当たりにできることを心から楽しみにしている。
参考文献
[1]note 澁谷直樹(2025), “詳細VAE 変分オートエンコーダー”, https://note.com/kikaben/n/nc5e1b32bffc0(参照2026年4月13日)