マーチャンダイジング(MD)とは最適な売り場を作る一連の活動を指す。具体的には「何を売るか」を決める商品選定・商品開発、「いくらで売るか」を決めるプライシング、「どう売るか」を決める棚割り設計・販売促進(販促)などの業務を含む。
小売業の利益の大部分は商品構成、価格、販促によって決定される。例えば食品スーパーでは売り上げの70〜80%が商品原価であり、MDの意思決定は利益構造に直接影響する。[1]
しかし現実に行われるMDの多くは担当者の経験や感覚に依存している。“根拠なく競合と同水準の価格を設定する”“販促は売れ行きの悪い商品の値引きのみ”などの惰性的な業務遂行は珍しくない。棚割りをメーカーや卸に考えさせるような、意思決定権を放棄しているケースさえある。このような状況でMDが正常に機能しているとは言い難い。
ただし小売業界全体のMDが歴史的に未熟だったというわけではない。問題の本質は過去の競争環境に最適化されたMDのあり方が十分に再設計されていない点にある。本稿では主に食品スーパーやドラッグストアなどの実店舗小売業を想定し、現代のMDに潜む問題点とその解決方針を明らかにしていく。
目次
第1章:かつてのMD―売り場の支配力が生んだバイヤー主権
日本の小売業では「MDはバイヤーの仕事」として理解されることが一般的だ。つまり陳列すべき商品を見極める商品選定力と、メーカー/卸に対する交渉力で仕入原価を最小化する能力がMDの中核的価値とされている。
このようなイメージは小売業が業界構造上の優位性を生かして「選択と集中」を実践する中で形成された。ECが存在しない当時、人々が商品を買う場所は小売店舗以外にほぼなかった。これは購買意思決定の大部分が小売店舗の売り場で行われていたことを意味し、店舗の棚はメーカー/卸にとって希少価値の高い資源だった。棚を確保しない限りどんな商品も消費者の目に留まる機会すら得られない。小売業の棚は彼らにとって事実上の「参入障壁」として機能していた。筆者の私見だが、これは2010年ごろまで続いた業界構造であると考えている。
そこで小売業は自身の持つ売り場の支配力をメーカー/卸との商談に活用した。「棚を確保する代わりに原価・リベート条件を優遇してほしい。」などの交渉を通じて仕入原価の最小化を図っていたのだ。商品選定と原価交渉は利益貢献度の大きい重要業務とみなされ、多くの小売企業がここに経営資源を投入した。その結果バイヤーは担当する商品の商談に多くの時間と労力を投下し、他方で重要度の低い棚割り設計、販促企画などのMD業務をメーカー/卸にアウトソースしたのだ。このアウトソースは小売企業の怠慢ではなく、合理的な意思決定である。なぜなら棚割りはサプライヤーが把握する市場動向に基づいて検討する方が理にかなっており、また販促企画にはメーカー/卸の協賛金を充てることができるからだ。
第2章:現代のMD―失われた主権と顧客主権への転換
ところが2010年ごろ、スマートフォンとECの普及によって小売業の競争環境は大きく変化した。ECは我々に無限の仮想棚と仮想レジを提供したのだ。さらにレコメンド技術の発展によって無限の商品から欲しいものを探すという生活者の負荷を効果的に引き下げた。その結果、生活者は手元のデバイス上であらゆる商品を比較検討し、店舗を訪れることなく気軽に商品を買うようになった。
もう1つの重要な変化として、小売業界では業態による品ぞろえの差がなくなってきていることにも目を向けたい。例えばかつてドラッグストアは医薬品を専門に取り扱う業態だった。しかし現代のドラッグストアは日用品、加工食品、生鮮品まで幅広く取りそろえている。同様に大手家電量販店でシャンプーや歯ブラシなどを見かける読者もいるだろう。
これらの変化はかつて店舗が有していた棚の希少価値を急速に低下させた。ロングテール商品はもとより、売れ筋商品でさえ自社ECやECプラットフォーム、他業態店舗などの代替チャネルに流通し始めた。つまりメーカー/卸にとって棚スペースはもはや参入障壁ではなくなり、小売業が従来のように原価・リベート条件の交渉を有利に進めることは困難となったのだ。
この環境変化に合わせてMDを最適化できた小売企業は多くない。業界構造の優位性に基づく従来の戦略ではメーカー/卸を意識した経営が必要だった。しかしデジタル化による売り場と情報の民主化は、ニーズの多様化とトレンドの短サイクル化を加速させ、結果として今日では顧客視点に基づく売り場づくりが重視されるようになった。
ところが棚割り設計、販促企画など顧客接点に関わる業務はいまだにメーカー/卸主導となっている小売企業が多い。その要因はいくつか考えられる。例えばID-POSデータ(顧客IDがひもづいたPOSデータ)等の活用が遅れ、顧客視点から棚割りを設計するノウハウを獲得できていないこと。また原価低減が困難化した結果、協賛金への依存度が高まっていることも一因だろう。いずれにせよ現在の小売業は、重要業務の主導権を部分的に失った状態にあると言える。
かつてのアウトソースは合理的な分業だったが、現在は意思決定権の喪失状態にあると解釈されるべきだ。特に棚割りや販促企画の重要性が高まる今日において、これはMD全体のコントロールを失っていることを意味する。
かつてバイヤー主導だったMDは、現在メーカー/卸主導の側面を強めている。しかし本来MDが向き合うべき相手はサプライヤーではなく顧客である。顧客の選択肢が無限に広がった現代において、MDは顧客主権のもとで再設計されなければならない。
第3章:その売り場は顧客に選ばれるか?
かつてなく変化の激しい現代社会を生き抜くうえで、MD関連業務を主体的に改善できないことは深刻な問題である。しかし問題はこれだけではない。現代の小売業界における競争軸が「売り場が顧客に選ばれるか」にシフトしていることにも注意が必要だ。
先に述べた通り、2010年ごろまでほとんどの購買行動は店舗の売り場で発生していた。また店舗における購買行動の大部分が非計画的であるため、売り場にPOPや販促といった仕掛けを施すことはMDの重要な業務として意識されてきた。
しかし現代の顧客は、「何を買うか」だけでなく「どこで買うか」についても固定的ではない。欲しいものを思いついた瞬間に、EC・店舗・定期購入など複数の選択肢を柔軟に行き来している。例えば洗濯用洗剤の補充が必要な時、以前はとりあえず店舗に行き、商品棚を見ながら複数のブランドを比較した。しかし現代人の購買行動はもっと多様だ。
図3に示す通り顧客の行動パターンは多様だ。ECは高機能化しており、また実店舗では業態による品ぞろえの特徴が希薄化しているため、顧客は多数のオプションから買い方を選ぶことができる
このように、商品の購入ハードルが極端に下がったことで現代人は商品を手に入れること以上の満足感・充実感を購買プロセスに求めている。つまり選ばれる売り場かどうかは、利用シーンや利用目的といった顧客体験が左右するのだ。現代のMDには、顧客から選ばれる売り場と商品が売れる売り場の両立が求められている。もはやMDの意思決定権を失っている場合ではない。
第4章:選ばれる売り場はデータの中に眠っている
実店舗小売業におけるMDの本質は単に売り場を設計することではなく、顧客の購買構造を解読することだ。売り場づくりはしばしば意図的・設計的な営みとして語られる。顧客像を定義し、カスタマージャーニーを描き、それに沿って棚割りや販促を組み立てる。しかし小売業における購買行動の実態はそのような整然とした物語からは程遠い。顧客は非計画的に来店し、非計画的に商品を手に取る。気分、時間、在庫、動線、過去の経験など、その場で意識されない何らかの要因によって購買は成立する。
しかし購買行動の多くは非計画的だがランダムではない。行動の背景には個人の嗜好や価値観が潜んでいるからだ。さらに通勤、通学、家事、育児、余暇といったライフスタイルも購買行動に一定の制約や傾向を与えている。例えば健康志向の強い人は無意識に国産の野菜を選びそうだが、無意識にカップ麺を購入するとは考えづらい。私たちの購買行動には、価値観や生活スタイルが一定の傾向として静かに反映されているのだ。
大量のデータから購買行動の裏に潜む傾向を発見することは、人間だけでは極めて困難だ。しかし機械学習によってこれを実現することは十分に可能であり、ビジネスデータへの応用も進んでいる。例えば機械学習の一分野である「表現学習」はその筆頭だ。表現学習とは入力された膨大なデータから特徴的な情報を発見する技術であり、例えば大量の手書き文字を与え文字の形や構造を特徴として学習することで、文字の識別や新たな手書き風文字の生成などが可能となる。
この表現学習をPOSデータに適用することで購買行動の背景に潜む顧客の嗜好性や店舗の商圏構造の発見が期待されている。例えば日本品質管理学会が発刊する『Total Quality Science(2023)』に次の論文が掲載されている。
「Store Analysis Using Latent Representation of Robust Variational Autoencoder Based on Sales History Data」[2]
これによると、ある食品スーパーの総菜コーナーに関するPOSデータをVAE(変分オートエンコーダー)と呼ばれる手法で解析することで、店舗ごとの商品陳列傾向を定量的に検出することに成功している。また観測された特徴を追跡することで、ユニークな品ぞろえを行う店舗には、ある共通の商圏構造が存在することを発見したという。
データ操作が高度化した今日において、MDの役割は「売りたい売り場」を作ることではない。すでに選ばれている売り場の構造をデータから読み解き、売り場の型として再現することだ。売り場を起点に顧客行動を説明するのではなく、顧客行動の集積から売り場を逆算する。これはいわば、データを用いて売り場をリバースエンジニアリングするアプローチであり、ここにMDの視点の転換がある。POSをはじめとする購買データの分析は、何十年も前から取り組まれてきたテーマである。そのため「いまさら新しい成果は得られない」と考える人も多い。しかし直近数年の情報処理技術は飛躍的に発展しており、とりわけ機械学習やAIがビジネスを変革するポテンシャルは計り知れない。
そして忘れてはならないのが、消費者および実生活も急速にAIフレンドリー化していることだ。AIにリスクや課題があることを感じつつも、多くの人がそれ以上の利便性や可能性を歓迎している。消費の在り方においても同様で、AI・機械学習から得られる上質な購買体験が世間で認知されれば、瞬く間に新時代の“消費のスタンダード”が形成されるだろう。
おわりに:購買活動を科学せよ
昨今のインフレに伴う仕入価格の高騰、人手不足による人件費・物流費の上昇によって小売業は苦境に立たされている。これらは一時的なハードタイムではない。国際的な金融環境や日本の人口構造を背景とする構造的コスト増であり、必要なのは対症療法ではなく根治療法だ。すなわちコストダウンによる利益の確保が機能しなくなることを見据え、付加価値の創出を基軸とした高利益体質への転換が求められるだろう。では小売業に生み出すことのできる付加価値とは何か。それは買い物のあらゆるプロセスから得られる満足感・充実感、すなわち顧客体験だ。MDの意思決定権を回復しなければならない理由はここにある。また現代人の購買行動は、ライフスタイルや価値観の多様化、トレンド周期の短期化などを背景にますます複雑化している。このような状況で各店舗は商圏特性の本質を捉えて売り場を設計する必要があり、そのためのアプローチとして機械学習を用いた購買データの解析を提案した。
人間の購買活動を科学的に解き明かせるのは小売業をおいて他にないだろう。なぜなら商品データ、顧客データ、購買データを集約し一元的に扱うことができるのは小売業にのみ許された特権だからだ。しかし本気でデータサイエンスをビジネスに生かそうと創意工夫する小売企業は日本においてごく少数だ。製造業界などと異なり、小売業界では付加価値向上のために研究開発を行う意識そのものが醸成されづらいのではないか。ここでも発想の転換が必要だ。商品開発や製造技術開発などに対して、データサイエンス関連の研究開発は比較的小規模な投資で始めることができる。必要なのは知識ある専門人材、データから得られるインサイトをビジネス価値に転換する発想、そして事業・組織の変革を推し進めるリーダーシップ。難題であることは百も承知だが、当社が意志ある企業の半歩先を勇み行く強力なパートナーとなることをお約束したい。
出典
[1]一般社団法人全国スーパーマーケット協会(2025), “2025 年スーパーマーケット年次統計調査報告書”, https://www.super.or.jp/wp/wp-content/uploads/2025/10/2025nenji-tokei-detail.pdf(参照2026年4月12日)
[2]一般社団法人日本品質管理学会(2023), “Total Quality Science Vol.8, No.2”, “Store Analysis Using Latent Representation of Robust Variational Autoencoder Based on Sales History Data, https://www.jstage.jst.go.jp/article/tqs/8/2/8_113/_pdf/-char/ja(参照2026年4月13日)